フルコースをどうぞ




「あああ、篤さん!私ここで割り勘なんて無理です!」
 郁は店に入ったにも関わらずたまらず声を上げた。
「お前なあ、ここまで来て割り勘とか。前にも言ったが仮にも恋人同士でこういうところに来てて俺の方がお前より階級も年も上なんだぞ!」
「え、だってこんな所私めったに来たことないし…。すっごく高級そうだし…。いつもデート代篤さん持ちだから割り勘くらいさせてもらわないと…」
 郁が言うと「お前、手塚慧と一回こういうとこ来たことあるだろ」などと不機嫌な顔で呟かれた。郁は「それとこれとは…話が別で…」などとごにょごにょ言う。
「分かった。なら、俺がお前と来たくて来て、俺はお前の彼氏なんだから奢らせろ」
 うわー。ここでそういうこと言っちゃう!?なんか私だけ気持ち負けてないか!?
 郁はコクンと頷いた。二人の時の篤さんってなんでこんなに甘いかなー。
 閉じたまま手にしていたメニューに郁は視線を戻した。さきほどメニューの値段を見て驚きのあまり思わず力任せに閉じてしまったので改めて開いて見る。
 篤は郁のその様子に満足したようで微笑した。頼むものはディナーのフルコースだ。篤にデザート抜きのフルコースにしてくれと頼まれた。そこは最初の段階で篤が払うことに決まったので郁は頷いた。
 今日は二人でフランス料理の店に来ていた。篤にディナーに誘われたのだ。
 店内は落ち着いた雰囲気でテーブルに座ったところの大きな窓からは東京タワーが見える。東京タワーの輝きは殊更に美しかったがその周りのちりばめられた宝石のような光がさらなる美しさを放っていた。暗闇に輝くその光は一際映える。
 郁は最初この店に入ったときその美しい光景にうっとりとした。田舎育ちの郁にとって夜景というのはあまり親しみのあるものではなかったので感動も一入ひとしおであった。
 オーダーは篤がした。二人分のフルコースディナーと白ワインを頼むとウエイターは承諾して優雅な足取りで去っていった。
 料理を待っている間、郁は落ち着かなかった。なにより、こういうところに来るのは手塚慧に呼ばれたとき以来であったし、何度二人で出掛けていてもやはり好きな人と二人でいるのは緊張する。こういうところに来ているということが郁をますます落ち着かせなくさせた。
「何そわそわしてるんだ?」
 篤は郁の様子を見てふっと笑った。
「え!?私そわそわしてました!?」
「ああ、だいぶ挙動不審だ」
「だってこんな高いお店に来てて落ち着けっていうほうが無理ですよ!」
 すると篤は苦笑した。
「その服、よく似合ってる」
 うわー。またそんな嬉しいことを…。郁は少し照れてはにかんだ笑みを浮かべた。嬉しさがついつい顔に出る。
「篤さんも、決まってますよ」
 お返しに郁も返した。これは冗談ではない。実際今日の篤の服装は落ち着いた中にも若さのあるシャツを着て普段よりも増してかっこよく見えた。惜しむところは身長の低さくらいだ。
 郁も今日は、「普段よりも良い店に行く、めかし込んでこい」と篤に言われていたのでスカート姿だ。膝丈よりも少し短めで上品なフレアのスカートだ。コーディネートをしたのはもちろん柴崎である。
「どうしてまた、今日はこんな高いお店なんですか?」
「何言ってんだ、お前。今日は誕生日だろ?それにいつもその辺をぶらつくだけなんだ。たまにはこういうところで食事するのも悪くないだろ」
 た、誕生日!?え?誰の?一瞬そう思いかけて郁ははたと思い返した。そうだ、今日は自分の誕生日である。そんなことはすっかり忘れていた。
 どうして篤さんがそんなこと知ってるんだろう。確か自分の誕生日のことは話した覚えはない。郁が不審に思ったところで篤が口を開いた。
「柴崎に聞いた」
 そこでああ、と納得がいった。どうやら疑問に思ったことは顔に出ていたらしい。
 別に二人ならその辺をぶらつくだけでも十分幸せなんだけどな。思いはしたが、確かにこういうところで二人で食事をするのも悪くない。それに自分が乙女思考だから篤も気を遣ってくれたのだろう。
 郁はそんな篤の気遣いに「そうですね、ありがとうございます。嬉しいです」と笑顔で返した。
 店内を目だけで見渡しながら郁は幸せな気持ちがじわりと体中に染みていくのを感じた。
 なんか夢みたい。初めて二人で出掛けたときにはこんな風に一緒にこんなステキな場所で自分の誕生日を祝ってもらえるだなんて思いもしなかった。
 郁はふと初めて二人で出掛けた時のことを思い出した。
「初めて二人で出掛けた時のこと、篤さんは覚えてますか?」
「ああ」
 郁が、カモミールティーを初めて一緒に飲みに行ったときのことを話しているのだと篤にも分かった。
「いつもそうですけど、私、今あのときと同じくらい緊張してます」
 郁はうっすらと頬を染め言う。
「ん?そうか?」
「あのとき、なんか雰囲気とか、二人で出かけるのがデートっぽく感じちゃって…。すごく緊張した」
 郁は恥ずかしいことを告白するように言ってしまい思わず俯いた。
「なんだ、お前は違ったのか?」
 そこで篤から思ってもいなかった返答が返ってきた。その発言の意味が分からず、え?と顔を上げる。
「俺はデートのつもりで誘ったんだがな」
と篤が苦笑した。
 うわっ!反則!デートっぽいって一人で浮かれて恥ずかしいと思っていたのに…。篤がそのとき同じ気持ちでいてくれたことが嬉しくなって
「そうだったんですか?」
と思わず笑みが零れた。
 その様子を篤は別の意味として解釈したようで少し不機嫌な顔になり腕を組んだ。
「なのにお前はこっちの気持ちも知らずに飯食ってとっとと帰るつもりだったみたいだからな。やっとの思いでお前を誘ったんだ。こっちは必死だったぞ、お前を逃がさないようにするのにな」
 あのときはあんなに余裕そうに見えたのにその余裕の下に篤の悶々とした葛藤があったことを知り郁はそんなふうに考えていてくれた篤がとても愛しく思えた。
 付き合い初めてから篤はたまにこういう面を惜しげもなく晒してくれるようになった。郁はそれが自分だけの特権のように感じられて嬉しかった。
 なんか私ばっかり幸せな気持ちをもらってるなと、少し悔しくなった。

「どうしたんですか?」
 運ばれてきた料理に郁が手をつけ始めてからずいぶんとたったにもかかわらず篤は自分の料理に手をつけずに郁をじっと見ていた。気が付いて郁が声をかけると
「いや。お前テーブルマナー完璧だな」
 篤が驚いたように声をあげた。
「柴崎にも驚かれました」
 初めて柴崎と外ランチに行ったとき、柴崎にも同じことを言われた。完璧と言われるほどでもないのだが基本的なマナーは分かっているつもりだ。もっとも柴崎と行った場所はここよりずっと庶民的な店であったが。
「あなたは女の子なんだからテーブルマナーくらいきちんと覚えておきなさいってうちの母にほとんど無理矢理叩き込まれたんですよ」
「お前のお母さんらしいな」
 篤は苦笑して自分も料理に手をつけ始めた。
「いつものお前からは想像もつかないな」
「まあ普段の、基地の食堂での食事の仕方が素ですけど」
 郁は少し膨れながら返した。誉められているのかいないのか複雑だ。
「こういう場所でくらい私だってちゃんとしますよ」
 言いながらも内心郁は母に感謝した。まさか自分がこういう場所に来ることになろうとは。あのときはこんなこと覚えて何になるのだと反発したがそれが今役立っているのだから恐れいる。

 食事が終わった頃篤がウエイターを呼んだ。何かを頼んでいるようだが郁にはなんのことだかさっぱり分からない。
 次にウエイターが来たときに郁にもそれが何であるのか分かった。ウエイターの手にはケーキがあった。
 そうか、それでデザートなしのフルコースにしてくれと言ったのか。
 二人でケーキを食した後郁は篤にネックレスをもらった。家族以外の男の人にプレゼントをもらったのは初めてだったし、こんなに女の子っぽいプレゼントをもらったのも初めてだった。
 ああ、私女の子に生まれてきて良かったな。郁は嬉しくて涙が出そうになった。
「こんなに嬉しい誕生日プレゼントは生まれて初めてです…」
 潤んだ瞳のまま言うと篤が優しい笑みを浮かべた。
 その後記念写真を撮ってもらった。相変わらずの仏頂面で篤が満面の笑みを浮かべた郁の隣に写っていた。

「篤さん、なんかしてほしいこととか欲しいものとかあったら言って!」
 店を出た郁は篤に唐突に話を切り出した。ワインを飲んだが酔うほど派手に飲んでいないので郁の足下はしっかりしている。少し気分が良くなっているのは気のせいではないが。
「ん?なんだいきなり」
 郁は自分ばかり幸せなのも、と思い、思い切って口にしてみた。
「だって、なんか私ばっかり幸せだから。篤さんにも幸せな気持ちになってもらいたいんだもん」
 ね!何かないの?と郁が身を乗り出して言うと
「別にそんなことしなくても十分幸せだぞ?」
「だめ!それじゃあ私の気が済まないんですー」
 わざとらしく頬を膨らませると篤は苦笑してポンポンと郁の頭を軽く叩いた。
 ほら、まただ。これだけで私はすごく幸せな気持ちになる。ずるいなー。もう。
「私、こんなに幸せな誕生日生まれて初めてです」
 郁の目は心なしか潤んでいるように篤には見えた。濡れた瞳に街灯の光が揺らめき輝いているように見える。
 不意に篤が立ち止まった。
「篤さん?」
 不審に思い郁が声をかけた瞬間篤が郁の手を引き抱きしめた。突然のことに驚いて郁は硬直する。幸い遅い時間だったので周りに人はいなかった。
「お前、いちいち可愛すぎる。今夜は帰したくなくなった」
 耳元で囁かれる。ええ!?それって…。囁かれたその甘い台詞と篤の熱い吐息に心臓が飛び跳ねた。
 すると篤はそこで郁を解放し、とたんに意地悪な顔つきに変わった。
「さっきのして欲しいことだけど、なら今から外泊届、出すように柴崎に頼め」
 篤は口の端をつり上げてにやりと笑う。
「明日はせっかくの公休だしな、今日は郁を一晩中独り占めしたい」
 まさか篤からそのような発言が飛び出すとは思ってもいなかった。郁の顔は見る間に真っ赤に染まる。
 柴崎に頼むって時点で事情がバレバレだよね。篤さんは平気なのかな?そんなことを思いながら俯きそうになる顔を懸命に上げて篤を見た。
 たぶん、郁がこうなることは予想していたのであろう。篤は郁を正面から見つめると
「だめか?」
と念押しした。
 なんだ、その顔!ずるい!そんな顔をされたら断れない。
「………だめ…じゃないです…」
 郁が消え入りそうな声で返事をすると篤は嬉しそうに微笑んだ。





 fin.







             甘甘で攻めました。私が書くようなものなので物足りないと感じるかもしれませんが私なりに甘甘を目指して!
             郁がテーブルマナー完璧というのは想像です。
             本当は完璧どころか焦る郁ちゃんっていうのも想像したのですが、お母さんにきっちり指導されてる郁ちゃんていうのもありかなと思い書きました。
             それから外泊届の仕組みが未だに分かっていないです。
             自分で電話とかで出せるのかもしれませんが。今回は頼むって形で!
             え?どうして頼む形にしたかって?そりゃあ、だってそのほうが楽しいですし!(ぉぃ;
             矛盾点見つけたらスルーしてやってください。

             「俺はデートのつもりで誘ったんだがな」を堂上に言わせたくて書いた話。革命の余裕な堂上にも少しくらい葛藤があってほしいな、
             さらにデートってことは前提で郁を誘ったんじゃないかなと思いまして。それでこんな妄想話が生まれました。
             たまには堂上にもおいしい思いをさせてあげなくちゃね!(笑
             
             なるべく原作に忠実に!と念じながら書いたのですがイメージぶちこわしたらすいません!

             2008.06.02 2008.06.29再録